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日用芸術品

2006.5.26.

日記書くの、半年ぶり。今年から「年記」にしようかな・・・。

 

昨年末、サイトを通じて知り合ったYUKIさんの運営するハンド・メイドバッグ・ショップで、良い買い物をした事を書いた。(ここ

クリスマスに再度オリエンタル・バッグを購入し、フランスの叔母にプレゼント。とても喜んでもらえた。

その後叔母の家に遊びに行ったら、そのバッグをメーク道具入れにして、部屋の目立つ所に置いていた。綺麗だから、見えるところに飾っておきたいんだそうだ。なるほどね。

以前、夫の従兄弟に安南焼きの醤油注しをあげたら、香水用のボトルにしたいと言っていた。香水だと、アルコール分が飛んじゃうからダメじゃないかと言う話になったんだけど、面白い発想だ。

義弟が下駄を見て、「この上にスシ乗せて食べるのは?」と言ったのは、即刻却下だったけどね。

 

YUKIさんはその頃、オリエンタル風のバッグをメインに作っていた(これとかこれとか・・どれも綺麗)。他の国ではどうかわからないけれど、イギリスでこれだけクォリティーの高い和風のプレゼントを探すのは難しい。中華が混じっちゃってるみたいな品ばかりで、値段の割には安っぽく見える物が多いし。

 

と言うわけで、和風のプレゼントを考えている在英の方に特にお勧めしたい、と書いたのが前回までの話。(半年前)

YUKIさんは、今は別のラインの作品も色々作られていて、バッグ自体の形も布のデザインも幅が広がった。

 

最近使われている柄も、すごくいい。単に私の好みなんだけど、温かみのあるサイケ柄は、とても可愛いと思う。

 

これとか、

 

 

 

これとか。

 

 

 

 

 

 

昨年、旅行に便利そうと言うのとデザインのキャッチーさでこちら↑を購入し、長距離旅行の機内、現地での移動用に何回も使用した。

パスポートやチケット類、財布、携帯、化粧品、水ボトル、文庫本、薬類、ティッシュやハンカチ、MP3プレーヤー、全部きっちり入って大助かり!

機内では、座席の下にスポッと入って足にもぶつからず、長期フライトでの物の出し入れにも困らない。今まで、フライトのある旅行には肩にかけるタイプのボストン・バッグを使っていたが、斜め掛けして両手が空いてると、空港での手続きやショッピングの時にとても楽だ。

 

最近、試作品としてこちらを頂いたのだが、見た目薄くてすっきりしているのに、物を入れても形が崩れない。相変わらずバッグの中身のごちゃごちゃしがちな私には、中身の整理がしやすく出来てるのも助かり、最近の外出の必携品になった。

今まで以上に細部に凝っている上、全体のフォルムが一層シャープで端正。

素人の私には、素材や技術の面でどこがどう大きく変化したのかは、よくわからない。ただ、プロのスポーツ選手の動きが綺麗なのと同じで、YUKIさんの作品は無駄な動きの無い美しい手さばきで作られているんだろう、と言うのはわかる。

 

YUKIさんの作品をきっかけに、バッグや布のデザインに興味を持つようになった。旅先で面白いデザインの物を見つけると、デジカメに収めてみたり。

バッグでも靴でもそうだけど、生活用品は実用品でありながらモダン・アートの要素がある。ロンドンのデザイン・ミュージアムに行った時に理解したつもりでいたけど、身の周りのあらゆるものを「鑑賞」出来る様になったのは、ごく最近の様な気がする。

 

 

で、普段のお買い物にはこれがいいのよぉ〜(私はネコムラー

 

  

 

「Granny Bag」なんていうから、うちの母親の持ってるどどめ色で真四角なバッグかと思ったら大間違い。

英国のグラニーはオサレなのです。

 

☆YUKIさんのサイト:seabreezestudio Top ページ

商品一覧過去の作品ギャラリー一覧・・・一年足らずの間に、たった一人でこんなに作れるのかと感嘆。

「Etsy」出品ページ〜本サイトの方に載ってない作品も。携帯ポーチが色々欲しいんだけど、携帯は一つしか無い・・

「Flickr」: YUKIさんの作品紹介と製作の記録〜布ハンターのYUKIさん。「運命の布探し」の過程が垣間見られて、興味深い。

 

 

オマケ:アムステルダムのストリート・マーケットで見つけた子供服。

「ど」サイケでグルーヴィー!

 

 

 

 

↑手前に置いてあるのなんて、ヨダレかけだよ!

カッコいいけど、なんだか落ち着きの無い子どもに育ちそうな気もする。

 


2006年度・記憶スケッチアカデミーごっこ

2006.6.9

 

2002年6月14日にご逝去されたナンシー関先生を偲び、我が家で「記憶スケッチアカデミーごっこ」を開催する様になって早や4年になる。

 

※「記憶スケッチ」とは、おぼろげな記憶だけを頼りに、出されたテーマの絵を描いてみると言う遊びのことです。

 

参考までに、

 

☆過去に私達が取り組んだ記憶スケッチの2002年版はこちら

☆2003年版はこちら

☆2004年版はこち

☆2005年度版はこちら

 

今回は、スター・ウォーズの有名キャラクター、「ダース・ベイダー」、そして、「C-3PO」、「R2-D2」と言う、豪華な3キャラクターに挑戦してみた。

 

信じられない!と思われてもいいが、私は旧版のスター・ウォーズを見たことがない。私が見たのは何だったかな〜、ナタリー・ポートマンが出てたやつだ。新しいの。で、正直言って、何も覚えていない。

スター・シップとか、その手の非現実的な事は嫌いなのだ。

 

でも、映画館の予告編で結構見てるし、テレビでも良く紹介されてるから覚えてるだろうと思ったんだが・・甘かった様だ。

 

それでは、早速行ってみよう!

まずはダース・ベイダーから。

 

本物↓

 

私と夫の記憶スケッチの結果はこちら。

 

 

 

 

 

 

私作:「ダース・ベイダー」

夫作:「ダース・ベイダー」

 

ハイハイハイ!わかりました!似てません!似てませんよ!

 

告白すると、私はズルをした。

一回目に描いた絵が、どこをどう見ても男性器にしか見えなかったので、「これはとてもじゃないけど載せられない!」と思い、もう一度描き直したのだ。本当は書き直しはダメなのに・・・。

でも、一枚目のを載せるとしたら、モザイクかけなきゃいけなかったし、仕方が無い。

 

でも、書き直してもやっぱりどこかに男性器の残像が残っている。私がデスパレートな妻たちだからだろうか?

 

夫のは、絶対にKKKのメンバーだ。(KKKの資料写真。とてもじゃないけど、怖くてこのサイトには載せられません)

兼業で、銀行強盗もたしなんでいる。

 

 

次に、仲良しロボット「R2-D2」と「C-3PO」のスケッチ。

 

 

私作

 

 

「R2-D2」には「がんばれロボコン」(参考資料)のキャラクターが入っていそうだ。(冷風機にも見える)

「C-3PO」は、エイトマンとガンツ先生の合体だろうか?

この絵で、「特撮とアニメの国出身」の烙印を押された気がする。

 

 

 

次に、夫の作品

 

 

 

なんかいい雰囲気で踊ってるが、左側のは「勉強ができる人」だ。高い声で、意外とよく喋る。

右のは・・わからない。

「がんばれロボコン」は見たことない筈なのに、私の絵よりもロボコンに近くなっている。何故?

でも、腕がロボットにあるまじき形状である。「チッチとサリー」のチッチの足と同じ、あめんぼ系だ。

 

私の喩えが、どれもアニメやマンガになってしまうのは仕方ない。

日本人の推定85パーセントは、マンガで色んなことを説明されるのに慣れている漫画人間なのだ。だからどんな使用説明書にもちょっとしたイラストが入ってないと全然読む気にならないし、教科書も挿絵か漫画で説明してないと、何が書かれているかわからない。

政治も経済も、出来たら全部マンガかアニメで説明して欲しいぐらいだ。

ロボコンの作者・故石ノ森章太郎先生が、「マンガ日本経済入門」を描かれていたのも偶然ではない。私と夫に「読め」と言ってるのだ、きっと。

 

アダム&ジョーだって、日本に生まれてたら、スター・ウォーズじゃなくてガンダム・マニアになっていたはず。これは、ほぼ間違いなし。

 

※後半部分は適当に書いてますので、どうか真に受けないで下さい。

(写真は、スター・ウォーズ公式サイトより)

 


自信を持とう!ポジティブになろう!

2006.6.26.

 

嫌いな人から「とってもポジティブ」な発言が発せられた時、何故こんなにも不愉快なのかを考えてみた。

 

私の嫌いな人は、自己評価が高い。相対評価も絶対評価も、現実と著しくかけ離れて高いのだ。

自分を客観的に見るのは難しい。誰だって絶対に、自己評価には間違いがある。

しかしそれが誤差の範囲なら周囲も指摘しやすいし、微調整で修正出来るだろう。成功しているか失敗しているかはともかくとして、私もその手の間違いは、出来るだけ調整できる範囲で済ませたいと願っている。

 

自己評価が高くても、それが客観的に見ても正確なら、寧ろ好ましい。必要以上に自己評価が低すぎれば、逆に慇懃無礼だ。

しかし、明らかに別の次元の高評価を自分に与えている人には、恐ろしくて何も言えない。

本人はその行為を「自信に満ちていて前向き」と考えている。すなわち彼らがポジティブになると言う事は、間違った出発点の自己評価を、更に間違った方向に発展させる事に他ならない。

例えば、既に信じられないぐらい図々しいのに

「私って謙虚過ぎて損してる。もっと図々しくならなくちゃね」と自らを鼓舞したり、

余計なお節介を焼きすぎだと言うのに、

「しょうがねーな〜。今回も、俺が一肌脱いでやるか!」などと張り切ったりする。もっと凄まじい例も沢山あるだろう。

 

「こっち側の土地はあなたの領地じゃないのよ〜。そこから先は耕さないで〜!」と地元農家が泣き叫んでも、ブルドーザーでやって来て樹木をなぎ倒していく。彼らの通り過ぎた後には、草木一本も生えないが、もちろん反省も後悔もしない。自己肯定の嵐だ。頑張ってる私は素敵なのだ。

 

私もあなたに近づかない。だからお願い。あなたも私に近づかないで。

 


W杯で自分が日本人であることを自覚する人、またはしない人

2006.7.4.

 

W杯がらみで書いた唯一の文章(ここ)が、当たらずしも遠からずだった気がしてきました。W杯開催前に書いた割りに、良い出来だったのではないかと思います。

 

W杯関連の批評は敗因を国民性に求める自虐的な批評が多くて、読んでいると軽鬱状態になってきます。

「攻撃に不向き」「精神力の弱さ」「諦めの良さ」「体力の無さ」など、まるで私個人の特質を言い当てられている様です。

どの記事を読んでも、自分の気質が槍玉に挙げられています。憤りと嘆きで鼻息を荒くするあまり、止んでいた過呼吸発作が再発しそうです。

「プレーが」「作戦が」と欠点を並べ立てられた挙句、「所詮、肉食ってる奴らには勝てない」などと身も蓋も無い総括をされては、どうも寝覚めが悪いです。

 

ところで、引退して新たな自分探しをする元選手ですが、以前こちらのニュース番組でイタリア(多分。イギリスではなかったと思う)での記者会見の様子を見た時のことがと ても印象に残っています。

何故なら、ものすごく腰が低くて卑屈なぐらい愛想がよく、声もやけに甲高かったからです。

国内でも同じ態度の人だったら、別に驚きもしなかったんですけどね。

 


ヒコボシさま

2006.7.7.

 

今日は七夕ではありませんか!本場中国では「情人節」。デートの日だ。

 

私も素敵で可愛くて優しい夫とデートしたいところだが、あまり気分が乗らない。

最近やたらと穴ぼこに蹴躓く様になったからだ。

 

調子のいい時は大股の早足で歩いているからか、穴ぼこに足をとられることは滅多に無い。すいっ、と回避するか、或いはひょん、と飛び越して、道の悪さにさえ気づかない。

 

なのに今は何だ。

小さい穴にもやたらと足をすくわれ、よく転ぶ。

転ぶだけじゃなくて、這い出た所でまた小石、深い穴、暗い溝ででこぼこの道に、いちいち引っかかり、ちっとも前へ進めない。

 

多分遥か上空から見ると、月のクレーターみたいな巨大なへこみの真ん中で、ちまちま蹴躓いているのかもしれない。

落ちた穴が深すぎるせいか、ひっくり返って空を仰ぎ見ると、地球が遥か遠くに感じられる。

 


初体験にしてラスト、ワールド・カップ観戦

2006.7.10.

 

昨晩同僚に誘われて、ワールド・カップの決勝戦を見にパブに行ってきた。

 

「パブでフット・ボールを観戦」。

 

自分に最も縁遠い行為だ。事実、英国に住んで恐ろしいほどの年月が経っているにも関わらず、パブでスポーツ観戦など、一度も経験したことが無い。

 

しかし、今回はフランスが決勝に進出したと言うではないか。初耳だ。つい昨日聞いたよ。(それはウソ。もっと前に聞いた)

フット・ボールに全く興味の無い夫も、それを聞いてかなり乗り気である。

この機を逃したら、パブでフット・ボールを見ることは一生無い気かもしれない。今回だけは私も勇気を出して、刺青入りの男達の世界に飛び込んでみよう、と思った。

 

観戦前にスーパーに買い物に行ったら、顔にフランス国旗をペイントしている強面男性が一人。彼の買い物カートの中はビールでいっぱいだ。顔にペイントしているのに、自宅で観戦する気なのか?

同じ店内で、イタリア国旗をペイントしている男も見かけた。

決勝当日だのに、盛り上がっていそうな人が二人しか居ないとは、何となく心もとない。英国とは関係ないマッチだから、盛り上がらないのだろうか?

 

だが一たびパブに足を踏み入れれば、酔っ払う口実にフットボール観戦に来ている荒くれ者たちが大勢居るだろう。大混雑の店内で、座席が無くて立ちっぱなしかもしれない。大丈夫かな、自分。二時間持つだろうか・・。

 

心配しながらパブへと急ぐ。

待ち合わせパブの隣にあるイタリアン・レストランは、店先に国旗を掲げている。私達の観戦する店がイタリアン・サポーターばっかりだったらどうしよう、とまたしても不安が頭をよぎる。

 

バーン!と勢いよくドアを開けて店内に入った。

先に着いていた同僚が、向こうで手を振っている。

 

 

店内はガラガラだった。こんなにガラガラのパブも珍しいだろうと思うぐらい、見事なぐらいガラッガラ!

 

 

そして結果はご存知の通り。

フランスは負けて、ロンドンの同僚から「残念だったね」とメールが来て、フランスの実家に電話したらお義父さんはもう寝ていた。

どんな試合でも、自国のチームがダメだと盛り上がらないと言う事だけはよくわかった。 

 

隣のイタリアン・レストランの前では、数人の男達がイタリア語で騒いでいた。とぼとぼ帰途に着く私達に、イタリア人が満面の笑顔で手を振っていたので、私達も仕方なく、笑いながら手を振り返したのだった。

 


個人サイトって、難しいですよね

2006.7.28

 

「サヨナナ」の「個人サイトってむずかしいっすよね」を読んだ。

「ホーム・ページ」がブログと言う体裁に移行する過程の「過渡期の個人サイト」を未だにやっている者(自分)には、身につまされるコラムだった。

 

情報提供しているいるくせに、本当は一方的な供給なんかつまらないと思ってる。面白い話なら、気の合う人と「共有」出来るんじゃないかと思っていつも宙ぶらりん。

その中途半端な欲望の在り方は、ニュースやコラムの「発信」だけに徹したブログになり切れない、どっちつかずな「個人サイト」の姿勢そのものに思えてくる。

 

私を好きだと言ってくれる人は現実世界に一桁台で一向に構わないけど、私のサイトを好きだと言う人は、もう少し増えてくれていいのではないかと思う。

しかし、それにはRSSを何とかしたり、色々工夫しないといけないわけだが、図々しくも人を集める工夫をするのは嫌だったりする。

その態度もまた、「中途半端な個人サイト」的だ。私は個人サイト的な人間なのだ。

 

ゆーワケで。せっかくだし。悪いけど。続くよ!

 


ゴッホと世界

2006.7.30

 

私はヴィンセント・ヴァン・ゴッホのファンだ。

あまりに有名なアーティストなので今さら言うのも実に口幅ったいけれど、一応宣言しておきたい。

パリのオルセーに始まり、ロンドンのナショナル・ギャラリー、スコットランドのナショナル・ギャラリー、アムステルダムのヴァン・ゴッホ美術館、そしてゴッホの傑作の多くが製作されたアルルへ行き、「ゴッホの部屋の再現」を謳ったへっぽこな3D写真撮影所に騙され、ゴッホが5日だけ滞在してサン・マリにも行き、更にゴッホが精神を病んで療養生活を送ったサン=レミ療養院を2回訪問するほど好きだ。

 

今週末は、エディンバラのDean Gallery(リンク)で行われている「ヴァン・ゴッホと英国」展へ行ってきた。

エディンバラ・フェスティバルが始まると欧州中から人が集まって大混雑になるので、今のうちに見ておこうと思ったのだ。

結果は大成功。館内はガラガラだった。

ゴッホの描いた絵を、フラッと見に行ける幸せ。贅沢って、こう言う事を言うのだと思う。

Dean Galleryのゴッホ展には観賞用の柵もなく、近づきたければいくらでも近づいて見る事が出来る。(来月以降、混雑してきたら変わるかも)

ロック・コンサートでこんな事が許されるだろうか?許されたら、途端に将棋倒しだ。

そんな危険な状況なのに、推定3歳児が走りまくっているのには肝が冷えた。

しかも今回の展覧会の主役絵画のすぐ脇の壁にドーン!と体当たりしたりしていて、心臓が波打った。ゴッホの絵を破損しても、余裕で弁償出来る財力でもあるんだろうか?

 

☆☆☆

 

中学校の美術の時間に初めてゴッホの絵を見て、親に「今日学校でものすごく気持ちの悪い絵を見せられた」と怒りの報告をしてから早や幾星霜。

初めてゴッホの作品の実物を見た時はショックだった。「間違ってた」と思った。

教科書に印刷されていたのと、全然違うのだ。インターネットで画像検索してももちろん、実物とは全然色が違う。筆遣いは言うまでも無く、複製品で伝わるわけが無い。

 

ゴッホの絵は、実際見てみると気持ち悪くは無かった。ただ、胸に迫ってくる怖さがある。

それにゴッホはダリやマグリットよりも、確実に見る者を(少なくとも私を)不安にさせる。優しくて華やかな印象派の全盛期に、人々がゴッホの絵を忌み嫌ったのも理解できる。

 

ピカソのキュービズム絵画は、自在に画風を変えられる技量のある芸術家の「試み」であるのが明白だ。しかしゴッホの特異な画風は、芸術としての試みと言うには切実過ぎる。

最初期のオランダ時代から没する直前まで、ゴッホの作品には、子どもを子ども「らしく」とか、女性を女性「らしく」描けているものはほとんど無い。

見れば見るほど、「どうやらこの人には、こういう風にしか世界が見えないらしい」と思えてくる。自分の1ミリ先にある世界の生々しい姿。その想像が、見る者の不安を駆り立てるのである。

 

ゴッホが精神を病むにつれ、彼の描く家々の屋根は歪み、天は渦巻き大地はうねり、死相の様に不吉な黒いカラスが地上を低く舞う様になる。

一説によると、ゴッホの耳鳴りや眩暈は分裂症ではなく、メニエール症候群の症状だったそうだ。どちらにせよ、ゴッホの見た世界がいびつであったのは創作上の工夫ではなく、紛れも無い「現実」だったに違いない。

 

ゴッホの絵を見た時に感じる不安感は、精神・身体に障害を持つアーティストの作品カテゴリである「アウトサイダー・アート」(参考リンク)を見た時の感覚に似ている。

当時の美術界にアウトサイダー・アートのカテゴリーがあったら、もしかするとゴッホは後期印象派ではなくて、そちらに分類されていたのかもしれない。

 

しかし世の中には幾千万の狂人が居るが、世界を裏返しにして海の底から光を集めてきたような青や黄で、この世の空や花を表現出来る狂い方をする人は居ない。

もしそんな狂人が「居た」とするならば、その人はやはり、選ばれた芸術家だったのだろう。

 

 

 

「アーモンドの花」

(「本物とは全然違う」と言いながら、縮小コピーを掲載してすみません)

 

(「ゴッホの生涯」さんより。

ゴッホの人生を絵画に照らし合わせながら

学ぶことが出来る、素晴らしいサイトです)

 

(アムステルダム「ヴァン・ゴッホ美術館」の

サイトより。)

 

ゴッホ美術館では、現在ゴッホが多大な影響を受けた日本美術を紹介する展覧会、「Japanese Season」を開催中。

ここは、素人の私にでもわかるぐらい、展示方法が優れている。展示作品数も、もちろん世界随一。)

 

 

 

ゴッホの生誕地であるアムステルダムのオールド・カフェにて

 

 

 

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