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2006.10.11.
ウエストエンドでのスパマロットの上演開始に合わせ、テレビではこぞってモンティ・パイソン関連の番組を流しているわけですが、私の住んでいる様な田舎にもスパマロット余波による恩恵がありました。
なんと地元の公民館で、「フォルティー・タワーズ(Fawlty
Towers)」の舞台版が上演されていたんですよ!もちろん見に行きました。
テレビでしつこく再放送されているはずの「フォルティ・タワーズ」(当サイト内の紹介ページはここ)の舞台に、そんなに客が集まるんだろうか?と思っていたら、とんでもなかったです。場内は満席。
この公会堂が満席になったのを見るのは、これで3回目ぐらいです。
客層は、9割年寄り、1割が若者と年寄りに連れてこられた子供で、一見してわかる外国人は自分だけでした。
ものすごく大雑把な言い方をすれば、フォルティー・タワーズは「年配のアングロ・サクソンの物語」なわけで、観客は「自分達の時代の自分達の物語」を見に来ているのであって、私の楽しみ方とは違うなぁ〜と実感した次第です。
舞台でも上演された有名なエピソード「The
Germans」は、主人公バジル氏の経営するホテルにドイツ人の宿泊客がやって来る話。
バジル氏は「ドイツ人の前で第二次世界大戦の話は御法度!」と緊張するあまり、逆に戦争の話ばかりしてしまい、挙げ句の果てにはヒトラーの真似までして客を泣かせてしまうと言う、1975年当時としては考えられない過激な内容です。
しかし今のご時世に、イギリス人に戦争の話を持ち出されて泣き出すドイツ人は居ないと思うんですよ。放送当時はまだ戦争体験がリアルで、戦禍の遺恨が庶民の生活実感としてあったのが前提で、私が今見ても当時のこのスケッチの衝撃度は
、やっぱりちょっとわからないわけです。
確かに面白いんですが、私がフォルティー・タワーズに感じる面白さは感覚的な物ではなく、どちらかと言うと理屈を通過した笑いです。しかし、当時を経験し
ていて、且つモラルの拘束のキツい中・上流階級のアングロ・サクソンにとって、フォルティー・タワーズの笑いは直接感覚に来る笑いなんですね。
舞台を見ていて、ドイツ人いじめのくだりで観客のお年寄り達が火がついた様に笑っているのを見て、当時ジョン・クリーズがこの「やっちゃいけないギャグ」を完璧に演じきってくれた時、彼らがどれほど痛快だったのかが実感できる気がしました。
前にも書きましたが、笑いというのは意外と排他的な物です。特に差別に関するネタは、演じていい人と悪い人の間に極太の線引きがされています。
笑う側の良識に関わる問題でもあるせいか、「差別ネタをやっていいのは差別被害の当事者だけ」と言う点は、
今後もそう簡単には変わりそうにありません。(バジル氏も、「戦争についてドイツ人に言及してはいけない」と言う
無言の社会的圧力の被害者だと考えれば、演じる権利は当然アングロ・サクソンにあります)
「当事者が差別ネタをやるコメディー」は、まだ発展の余地のある分野です。
しかし今夏のエディンバラ・フェスティバルでパキスタン系女性コメディアンのShazia
Mirza(公式サイト)のスタンダップ・コメディーを見に行った時、「パキスタン系」「ムスリム」「女性」という条件の下でコメディアンをやるのは、比喩ではなくて命懸けの戦いであると思い知らされました。
Shaziaはムスリムのパキスタン二世と言うアイデンティティーをコメディーの題材にした事で、保守的なイスラム教信者から酷い脅迫を受け、在英パキスタン人コミュニティーから疎外された経験を「明るく」語っていましたが、この話を聞いてスカッと笑えるのは、彼女と同じムスリム二世か、宗教は異なれど似たような因習に苦しめられている有色人種の女性じゃないかと思います。
実際、彼女の舞台に来ていた観客でShaziaの苦労話に大爆笑していたのは、ベールを着用していたムスリム女性のグループでした。一番笑っていなかったのは、多分白人男性です。「この話を自分が笑ってもいいのか?」と一瞬躊躇するのは、まぁ人間としては当然の良識的な態度ではあります。
当事者がやっていてもそうなんだから、何の関係もない人間が他宗教の変わった風習や馬鹿馬鹿しい迷信などについて面白おかしく語って観客が爆笑・・・なんて言う光景を見るには、千年早いと言わざるを得ません。
現実社会では別として、コメディーを見る上ではもう少し一般人の良識が壊れた方が良い面もあるかと思うんですが、何だかんだ言っても、イギリスでは有色人種のコメディアンはまだまだ少ないし、彼らのギャグを笑うのにも一呼吸置かれているのが実態です。
この間放送された人気コメディー「Extras」で、「英国の黒人で面白いのは誰?」と聞かれて、リッキー・ジャヴェイスが返答に窮するシーンがありましたっけ。
そんな中、先日深夜テレビで見た黒人女性コメディアンJocelyn Jee
Esienによる、「Little Miss Jocelyn」(BBC3公式サイト)は
よく健闘していると感じました。
コメディ・スケッチとしては、キャサリン・テイト・ショーと同系列
で、一人の女性が色々なタイプの不愉快な人物を演じるパターンです。形式自体はごくステレオタイプなんですけど、Jocelyn自身のキャラクターが非常に強烈なので、「黒人が黒人のパロディーを演じている」と言った理屈を
かなり気持ちよくすっ飛ばして笑わせてくれます。
「黒人の滑稽な言動やライフスタイルを笑うのではなく、黒人同胞達からも思いっきり引かれているJocelyn(あくまでもコントの中での話ですが)単体を笑う」というのがこの番組の前提です。
すなわち、「黒人そのものではなく、黒人の特徴を持つ特殊な変人を笑っている」わけですから、特定の人種を笑いのネタににする事への罪悪感も緩和され、異人種でも遠慮無く笑えるという仕組み。
一人で黒人100人分の濃さを引き受けて余りある、豪快な個性の
ジョセリンが矢面に立つことで、「笑っていいのか?」と言う疑問を持つ余地が無くなるのが痛快です。
そこまで強調しなくても、
アナタが黒人だって事はよくわかってるから・・・
↓

スケッチの模様はこんな感じ↓
金融街シティで経理として働く黒人女性フィオナ。
「会社の人は誰も私が黒人だって気づいてないんだから!」と言い張っている。
しかし、黒人の同胞が近くに居ると封印していた黒人の血が騒いでしまい、自分の意志とは関係なく、「とんでもない黒人ぶり」を発揮してしまうのだった・・・。
これで弱冠27歳!将来が楽しみなジョセリンです。
日本
のお笑いも白人、黒人、不良、老人、馬鹿ギャルなど、反撃してこない対象はネタとして定着してるわけですけど、シリアスに反撃を受けそうな所は巧妙に避けて通っていて、それが日本のお笑いを弱い者イジメっぽく見せてしまう原因の様な気がします。
在日韓国人のお笑いの人が自分達の文化をネタにして
同胞も日本人もガンガン笑わせるには、あと何百年かかるんでしょうか?笑う方も笑わせる方もタフにならないと実現しないコメディーは、日本では受けないかもしれないですけどね。
(※もし既に日本でもそういうお笑いの方が居たら、私の方が何百年も遅れてるって事で、どうかお許し下さい)
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